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東京地方裁判所 昭和38年(ワ)4185号 判決

原告 岡田卓夫

被告 神田物産株式会社

右代表者代表取締役 植田利雄

右訴訟代理人弁護士 原田勇

桂川達郎

鈴木巌

右訴訟復代理人弁護士 川村幸信

黒崎辰郎

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は、被告は原告に対し別紙目録記載の不動産につき昭和三四年一二月一〇日東京法務局杉並出張所受付第三一一三八号をもってなされた根抵当権設定登記の抹消登記手続をなすべしとの判決を求め、その請求原因及び被告の主張に対する答弁として次のように述べた。

(一)訴外日本ブロートン化成株式会社(以下訴外会社という)は製パン高速度熟成剤(その商品名はじめは粉末で「ブロートン」のちには液体で「リッチフード」)を製造販売する株式会社で、原告はその代表取締役であるが、訴外会社は昭和三四年一〇月はじめごろ被告との間で訴外会社の製造する右商品につき訴外会社はこれを被告に継続して売り渡す旨契約して取引を開始したが、次いで同年一二月八日原告は被告との間で訴外会社が右取引において前払金受領その他により被告に対し負担することあるべき債務のうち金四〇〇万円を極度額として原告所有に属する別紙目録記載の物件につき根抵当権を設定する旨契約し、同月一二日請求の趣旨記載のとおりその旨の登記をした。

(二)以来訴外会社は被告と取引を継続し、昭和三四年一〇月から昭和三七年二月二一日までに被告から前払金を含めて合計金七二四万三、二〇〇円の代金の支払を受け、これに対し訴外会社はその間代金合計七八三万五〇〇円相当の右商品を売り渡し、昭和三七年二月二二日被告からの申出によって右継続的取引を終了するにいたったものである。

(三)従って訴外会社はその受領した代金相当額以上の商品を売り渡しているものであって右取引終了時右取引によって被告会社に対しなんらの債務をも負担するものではないから、前記根抵当権によって担保すべき債務は残存せず根抵当権は消滅した。よってここに被告に対し右根抵当権設定登記の抹消登記手続を求める。

(四)被告の主張事実中、被告主張のころその趣旨は別として訴外会社の売渡にかかる商品中被告主張の数量のいわゆる返品があったこと、訴外会社が被告主張のころその保管にかかる商品七、一〇九キログラムを訴外吉田格道に処分を一任し、同人がこれを廃棄したことは認めるが、その余の事実は否認する。本件商品が不良品、不完全品であるということはなく、取引にあたっていわゆる返品についてはなんらの特約もなかった。被告のいう返品は被告の倉庫が手狭のため便宜上訴外会社においてこれを預ったものに過ぎず、そのためその後においても訴外会社は被告からのあらたな出荷指図により右預り品中からこれを出荷していたのである。

(五)訴外会社は右返品として被告から寄託を受けた商品につき、被告から取引中止の申出のあった後、昭和三七年二月二四日付内容証明郵便で被告に対しこれが引取方を求めたが、被告はこれを引取らないのみか何の返事もせず、重ねて訴外会社のした催告に対しても何の応答もなかったので、訴外会社は吉田に依頼してこれを処分したのであり、その責任は一に被告にあり、訴外会社はこれにつきなんら損害賠償の責あるものではない。

被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁及び抗弁として次のように述べた。

(一)原告主張の事実中(一)及び(二)の事実は認めるが、その余の事実は争う。

(二)被告は訴外会社から売渡を受けた本件商品中不良品があったので昭和三五年一月三一日から昭和三六年一二月二九日までの間に別紙返品一覧表記載のとおりブロートン合計一四一一キログラム代金七〇万五、五〇〇円相当、リッチフード合計六三〇七キログラム代金三七八万四、二〇〇円相当を訴外会社に返品した。すなわちこれら商品はその後次第に被告の売捌先の小売店から不良品として返品されるにいたったが、それはブロートンにおいてはその性能が悪く、またリッチフードに切りかえ後は原料の液体酢酸が気温上昇により膨張又は蒸発し、使用法が一定せず、パン粉に滲透しないので製パン熟成の効果を発揮せず、また容器が破損して保存性のないことが明白となったためである。しかして

(1)当初本件取引契約においては本件商品が売れないときは訴外会社において責任をもつ旨特約しており、これは売れないものについて被告に売買解除権を与えたもので、右返品はその解除権の行使としてなされたものであるから、右返品にかかる分の代金合計四四八万九、七〇〇円を前記受領商品総代金から控除すれば金三三四万八〇〇円となり、被告は本件売買取引につきこれだけ支払えばよいこととなるから、被告が現実にした前記支払は金三九〇万二、四〇〇円の過払となり、別に運賃金七二四三円は訴外会社の負担となるから、結局右二口の合計金三九〇万九、六四三円が本件取引契約において被告が訴外会社に対して取得した債権であり、本件根抵当権の被担保債権として存在するものである。

(2)仮りに解除権留保の特約がなかったとしても、被告が返品として送付したものに対し訴外会社もまた返品としてこれを受領したものであり、これはこの部分について合意解除があったものである。

(4)仮りに合意解除がなかったとしても、返品にかかるものはいずれも当初の約旨に定めた性能効果をもたない不良品、不完全品であるから、訴外会社の不完全履行であり、被告はこれを理由として返品により契約を解除したものである。

(4)仮りにそうではなく、訴外会社への返品によって被告がこれを訴外会社にたんに寄託したものに過ぎないとしても、訴外会社はこれを善良な管理者の注意をもって保管し、被告の出荷指図により直ちに出荷し得るよう準備する義務があった。しかるに訴外会社は昭和三七年三月二二日右返品によって保管していた右商品少くとも七、一〇九キログラムを訴外吉田格道に無償で処分方を依頼し、同人はこれを廃棄処分し、訴外会社はその保管義務の履行を不能にした。その結果被告は返品代金相当額中少くとも右過払金額相当の損害をこうむったものであり、訴外会社はこれを被告に賠償すべき債務がある。

従って本件根抵当権によって担保される債務はなお存続し、根抵当権は消滅しないから、これが消滅を前提とする原告の請求は失当である。

証拠≪省略≫

理由

(一)訴外日本ブロートン化成株式会社(訴外会社)が原告主張のような株式会社で原告がその代表取締役であること、訴外会社が原告主張のころ被告との間で訴外会社の製造する原告主張の商品につき継続的売買契約を締結して取引を開始し、次いで原告主張のころ原告が被告との間で原告所有にかかるその主張の不動産につきその主張の趣旨の根抵当権設定契約をし、その登記を了したことは当事者間に争いない。

(二)原告は訴外会社と被告との取引はすでに終了し、訴外会社は被告に対し取引上なんらの債務をも負担せざるにいたったから右根抵当権は消滅したと主張するのに対し、被告はこれを争い、被告は訴外会社に対し右取引により金三九〇万円余の債権を有すると主張するので以下これについて判断する。

訴外会社と被告との間で訴外会社が被告に対し原告主張の期間代金合計七八三万五〇〇円相当の右商品(ブロートン及びリッチフード)を売り渡したこと、これに対し被告が前払金を含めて合計金七二四万三、二〇〇円の代金を支払ったこと、しかるにその間被告から訴外会社に対しその趣旨及び理由はともかくとして訴外会社の売渡にかかる商品中被告主張のとおり代金合計三七八万四、二〇〇円相当のものを返品し、訴外会社がこれを受領したことは当事者間に争いない。従ってはたして被告が訴外会社に対して取引上債権を有するものというべきや否はまずもって右にいわゆる返品なるものの趣旨理由にかかっているから、これについて検討しなければならない。

右返品は、被告がいったん訴外会社から買い受けてこれを自己の得意先に売り捌いた後、これら得意先が買取方をやめてこれを被告に返送し、被告がこれを訴外会社に返品し、もしくは被告の得意先から直接訴外会社に送付してなされたものにかかることは弁論の全趣旨から当事者間に争ないものと解してさしつかえない。

(1)被告は本件取引については当初売れないものは訴外会社が責任もつ旨特約しており、これ被告にその部分についての解除権を留保したもので、右返品は右解除権の行使としてなされたものであると主張する。この点について証人酒井晴雄の証言中には当初契約にさいし被告において売れないときは原告自身が責任をもって売ってやると言明したとの旨の部分があるが、その趣旨は被告の主張と異なるのみならず、これによって被告に解除権を留保したものとすることはできないこと明らかであり、≪証拠省略≫では右酒井は自分は直接返品についての取りきめはせず、ただ担当の竹下に品物が悪かったり不要になったときは返品できるということにしておいてくれといいおいたから、竹下からその旨いってあるはずというのであって、もとよりこれによって右特約の存在を証するには不十分であり、その他にこれを認めるべき的確な証拠はない。かえって≪証拠省略≫によれば当初契約にさいしては返品のことについてはなんらの特約もなかったことをうかがうに足りる。従って右返品が特約によって留保された解除権の行使としてなされたものとする被告の主張は失当である。なお返品の運賃負担が訴外会社に属することを認めるべき的確な証拠はない。

(2)次に被告は右返品についてはその都度訴外会社と被告との間に合意解除があったものと主張する。右返品は主として被告が売り捌いた得意先からの返送品であり、一旦被告が受けとって訴外会社に送付し、もしくは直接得意先から訴外会社に送付していることは前記のとおりであり、≪証拠省略≫をあわせれば、右返品にさいしてはその都度被告と訴外会社との間にかくべつのいざこざもなく訴外会社においては無条件でこれを受け入れていることを認めることができる。しかしこの事実から直ちに右返品にかかる分について合意解除があったものと断定するのは早計である。けだしこの事実は右返品が原告主張のように訴外会社の預り品として処理されたとして考えた場合にもあり得ることであって、格別不自然でないのみならず、≪証拠省略≫によれば被告においても当初はその得意先からの返品は、その現物が訴外会社に送付されているにかかわらず、これを自己の在庫品として計上し、のちには訴外会社に「預り分」として送付したりしていることが明らかであるからである。証人竹田隆の証言によれば訴外会社においては返品にかかるものについては一部廃棄したものがあるが、その部分についてはあたらしく製造した分をもって補充していることを認め得るが、これらの部分についてはなんら合意解除を問題にする余地はなく、その他に右返品にかかる分につき訴外会社と被告との間に合意解除が成立したことを認めるべき的確な証拠はない。

(3)次に被告は右返品にかかる分はすべて不良品もしくは不完全品であり、訴外会社はこの部分について不完全履行であると主張する。≪証拠省略≫ならびに本件口頭弁論の全趣旨をあわせれば本件製パン高速度熟成剤というのはアミノ酸含有物にホップ浸出液を混和し、さらに酢酸、乳酸等の弱酸性物質を添加して製造したもので、当初は粉末でブロートンなる商品名をつけ、のちには液体でリッチフードなる商品名をつけたものであって、その性能ないし効用はパンの製造においてその醗酵及び熟成を促進させ、短時間にその仕上を可能ならしめるものであり、これを用いれば従来焼上がりまでに一昼夜くらいを要したのが最短時間では二時間くらいで仕上がるとされているものであって、本件取引においてはその契約の目的物はかかる性能ないし効用があるものとして合意されたものであることがうかがわれる。しかして≪証拠省略≫中には前記返品にかかるものの中には一部不良品があったとする部分があるが、その不良とするゆえんについては判然としたものがなく、あるいは製パンにさいしその醗酵が一様でないこととかその膨張の度合が他の醗酵剤を使ったものより大きくないとか、色つやに遜色があるとかいい、あるいは得意先から返送されたものには悪臭があったというのであり、被告の主張も右の域を出ないものであるが、≪証拠省略≫に徴すれば前者は用法の不熟、時間の偏差等に由来するものや、附随的な性能に関するものであり、後者は容器破損による原料たる酢酸等の臭気がもれたものに過ぎず、右容器の破損は運送中の事故によるものと察せられるものであって、いずれも本件契約の目的物についての前記のような性能効用について本質的な缺陥とするには足りず、その他に右返品にかかる商品がすべて当初の約旨に定めたものと異なる不良品、不完全品であることを認めるべき的確な証拠はない。むしろ、≪証拠省略≫及び本件口頭弁論の全趣旨をあわせれば、本件取引において被告は訴外会社からその製造の都度本件商品を相当量ずつまとめて買い受け、これを都内及び地方の自己の得意先に売り込み、商品は主として出荷指図によって直接訴外会社から転売先に送付させていた、しかしその商品が従来未知のものであり、一般に周知されるのに時間を要したこと、需要者がその用法に習熟しないこと、気候の変化によって熟成に遅速があったこと、さらには売り先きの金づまりから代金支払を免れようとするため等々の事情によって売れ行きは必ずしも伸びず、また一旦買い受けた得意先も買取方をやめて返品して来るようになった、被告としてはこれら得意先からの返品については他の商品の取引のこともあり、深くその理由をせんさくすることなく無条件でこれを引き取り、得意先との当該売買は解約のことに扱ってきた、これら得意先からの返品はブロートンにもリッチフードにもあり、訴外会社と被告との取引開始後間もなくはじまり、その取引中の全期間を通じて常時散発的になされている、訴外会社への返品にさいしてもその原因の究明等がなされず、そのまま訴外会社で受け取り、被告は当初これら得意先からの返品は自己の在庫として計上し、これを再度他に売り捌いたこともある、かような事実を認めることができるのであって、これらの事実から考えれば、被告はその得意先から返品を受けたのはその目的物の性能効用等の本質的な缺陥によるものではなく、全く別個の事情に由来するものであることを了解するに足りる。従って訴外会社のこれら商品の供給がすべて不完全履行であることを前提とする被告の主張は理由がない。

(4)最後に被告は訴外会社の保管義務違反による履行不能にもとずく損害賠償債権の取得を主張する。すでに前認定のように本件返品が当該部分についての契約解除の結果でもなく、また不完全履行による返還の結果でもないとすれば、他に特段の事情の見るべきもののない本件において訴外会社がこれが交付を受けて保管したのはこれについて被告を寄託者、訴外会社を受寄者とする寄託契約が成立したものと解するのが相当である。右寄託につき報酬の定めがなされたことはこれを認めるべきものがないが、訴外会社が商人であり、右商品の寄託を受けたのはその営業の範囲内であることは明らかであるから、訴外会社はその保管につき善良な管理者の注意義務を要するものというべきである(商法第五九三条)。しかして訴外会社は右受寄物を被告の出荷指図あるまで保管すべきものであること、右出荷指図の時期については特別の定めがなかったことは弁論の全趣旨からこれを認め得るところであるから、結局寄託物返還の時期を定めなかったことと同一に解してさしつかえなく、従って受寄者たる訴外会社はなんどきでもその返還をなし得べきものであったというべきである(民法第六六三条)。しかるに昭和三七年二月二二日被告が訴外会社に対し本件継続的取引の中止方を申出たのち、訴外会社はその保管にかかる本件商品合計七、一〇九キログラムを訴外吉田格道にその処分を一任して引渡し、同人がこれを廃棄処分したことは当事者間に争ない。原告は被告には右商品につき受領遅滞があるから、訴外会社は右処分につき責任がない旨主張し、原告本人尋問の結果及び≪証拠省略≫をあわせれば訴外会社は被告からの取引中止の通告に対し同月二四日到達の内容証明郵便で被告に対し右受寄物はなんどきでも返還する旨通告し、次いで同年三月八日到達の内容証明郵便で同月一三日午後五時までに引取方を催告し、さらに右催告期限後の同月一四日到達の内容証明郵便で右引取がないから商品の処分を訴外吉田格道に一任した旨、しかし急げばまだ間に合うから折返し何ぶんの指示ありたき旨を通告したこと、これに対し被告はその引取をしないのみか、前後三回の通告を黙殺してなんらの応答をもしなかったことを認めることができ、右事実によれば少くとも昭和三七年三月一四日以後被告に受領遅滞があったものというべきことは明らかである。しかし被告の右受領遅滞によって直ちに訴外会社の受寄物引渡の債務は消滅するものではなく訴外会社としてはたんに爾後その注意義務が軽減され、自己の物に対すると同一の注意義務を負うにいたるに止まるものと解すべきである。訴外会社にしてその引渡の義務を免れるためにはこれを供託しなければならない。しかるに訴外会社は事ここに出ず、あえてその保管にかかる本件商品を吉田格道に処分を一任し、同人においてこれを廃棄したこと前記のとおりであり、このようなことは自己の物に対すると同一の注意義務にも違反し、その結果右保管にかかる商品七、一〇九キログラムにつきこれを被告に引き渡すことができなくなったものというべきであり、訴外会社は右履行不能によって被告に生じた損害を賠償すべき筋合であるといわなければならない。しかしてその損害額は反証のない限り当該商品の代金額と同額と解すべきであるが、訴外会社は右のような処分に出たのは被告における一方的取引中止の申出、受領遅滞及びとくに前後三回にわたる訴外会社の前記申出に対しなんらの応答をもしなかったことに起因することは前認定の事実によって明らかであり、ひっきょう被告の側にも過失の責むべきものがあるというべく、これをしんしゃくすればまだ訴外会社の責任そのものを滅却せしめるには足りないとしても、その賠償の金額は相当に限縮してしかるべきものであり、結局訴外会社の被告に対する損害賠償金額は金一〇〇万円をもって相当と認める。

(三)しからば訴外会社は被告に対し右の限度の損害賠償債務を負うものであって、これが本件取引によって生じたものであり、その故にまた本件根抵当権によって担保されるものであることは自明である。従って本件根抵当権はいまだ消滅せず、これが消滅を前提とする原告の本訴請求は失当である。よってこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(判事 浅沼武)

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